女優・深田恭子さんと交際中で、結婚秒読みと噂をされている杉本宏之(すぎもと ひろゆき)さん。
株式会社シーラテクノロジーズ(旧シーラホールディングス)の代表取締役会長グループ執行役員CEOです。
子供のころから英才教育を受け、エリート街道まっしぐらだったのでは?
と、思われる方も多いかもしれませんが、じつは壮絶な生い立ちだったのです。
目次
杉本宏之さんのプロフィール
杉本博之さんは、起業家であり、作家の一面もあります。
株式会社シーラテクノロジーズ(旧シーラホールディングス)の代表取締役会長グループ執行役員CEOです。
氏名:杉本 宏之 (すぎもと ひろゆき)
生年月日:1977年6月25日
年齢: 46歳
出身地:茨城県守谷市
育成地:神奈川県川崎市
趣味:仕事
好きな食べもの:卵かけご飯、ハンバーグ、焼肉、ステーキ
杉本宏之さんの壮絶な生い立ち
杉本宏之さんの壮絶な生い立ち① 父の会社倒産
産まれた直後:父親が経営する不動産会社が倒産
借金がかさみ、3歳のときに、家族3人で住んでいた豪邸から6畳一間のアパートに引っ越し。
父は不動産ブローカーとして働きだすも、借金は増えるばかり。
引っ越しを繰り返し、3歳のころには、埼玉県川口市に居住するも、数年後には神奈川県川崎市に居住。
会社倒産の原因
事業はうまくいっていたそうですが、
経営方針に異論を唱える専務の謀反がおこり、社員を引き連れて独立しまいました。
そんな状況下で会社は立ち行かなくなり、倒産してしまったのです。
杉本宏之さんの壮絶な生い立ち ② 交通事故
8歳:交通事故に遭う
不運に、大きな交通事故に遭ってしまいました。
半年ほど入院、1年間のリハビリの末、なんとか松葉杖なしに歩行ができるようになりますが、
左足の指は現在も動かないままとなっているそうです。
杉本宏之さんの壮絶な生い立ち ③ 母との別れ
13歳:最愛の母との別れ
生活を支えるために母親も身を粉にして働いた結果、病魔に倒れてしまいます。
末期の胃ガンに侵されていたのでした。
病気発覚からわずか2か月で、帰らぬ人となったのです。
最愛の母親が亡くなってしまったことにより、さらに生活が荒みはじめました。
杉本宏之さんの壮絶な生い立ち ④ バブル崩壊
13歳:バブル崩壊のあおりを受ける
母親の死後、生活はますます困窮を極めます。
そんな中、バブル崩壊が日本を席巻しました。
ブローカーとして何とか生計を立てていましたが、ついに首がまわらなくなります。
生活保護を受けることになりました。
杉本宏之さんの壮絶な生い立ち ⑤ 刀傷事件
13歳:父親に包丁で刺される
定職に就かずに勝手気ままな生活を送っていた父親と激しい口論に。
生活保護のお金を使い果たし、アルバイトで稼いだ金を無心してくる父親に怒り心頭。
杉本宏之さんは、父親を一喝すると、取っ組み合いのケンカに発展します。
父親は台所から包丁を持ち出し、宏之さんの左手を刺してしまったそうです。
血だらけになった宏之さんをみて、お互いに我に返ったそうです。
この出来事がきっかけとなって、はじめて将来について真剣に考えたそうです。
杉本宏之さんの壮絶な生い立ち ⑥ 父が蒸発
18~19歳ごろ?(推定):父親が蒸発
初任給として振り込まれたお金を、父親に半分ほど勝手に引き出されてしまいました。
親しい身内は誰もいなくなり、1人になったのでした。
まとめ
杉本宏之さんの壮絶な生い立ちとして、6つのエピソードをお伝えしました。
これらのエピソードから、極貧生活から成り上がった苦労人であることがわかります。
現在は、不動産クラウドファウンディングなどを運営するシーラテクノロジーズの会長。
28歳の時に業界史上最年少で株式上場を果たして「不動産業界の風雲児」となると、
2023年3月、米ナスダック市場に日本の不動産企業で初上場させました。
まさに逆転の人生ですよね。
ビジネスでは大きな成功を収めています。
過去の経験が反動となり原動力となっているのでしょうね。
今後もビジネスを拡大されるでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。